自然農法の核心的な考え方に、『火、水、土』の3つの力があります。
太陽と月と地球。この3つの天体から放射されるエネルギー、言い換えると、火素と水素と土素の融合によって発生した力、つまり『自然力』が作物を生育させます。この『自然力』こそが目に見えない無限の肥料なのです。具体的には、太陽、月、地球はそれぞれ、酸素、水、窒素といった作物の生育に必要な要素の供給源になります。
ここからは私の推測ですが、水星、金星、火星、木星等の惑星も鉄やマグネシウムなど、作物の成長に必要な微量元素のエネルギー源になっているのでは? もし、そうだとしたら、私たちの目の前にある一本の大根は、宇宙規模の産物という事になります。実際、人間には一本の大根も作ることは出来ません。人間は、種を播いて除草をするだけで、あとは全て大自然がやってくれるのです。
現在の農業の多くは、人間が自然より上になっているように思います。“売れる物”を作る事が、農業の目的になっており、土壌管理から害虫防除まで人間が力で支配し、作業の内容は人為力が多くの割合を占めます。出来あがった作物を見て、農家はこう言うでしょう。「俺が作ったんだ!」と。いいものが出来る程、収量が上がる程、生産者は自己の技術力を誇り、どんどん傲慢になります。
一方、自然農法は違います。自然農法をながく続けていると、農家の役割は、大自然という生産者の助手である事に気付きます。種を播いてしまえば、その後の作業は作物のペースに合わせてその内容が決まります。よく観察し、作物からの無言の指示に従って作業をさせて頂くだけです。人間は、大自然の生産活動の邪魔にならないように仕えるのです。一般的な農法では、収穫物は人間の工作物であるという観念が強いのではないでしょうか。でも自然農法では、収穫物は大自然の恵みであるという思いの方が強くなり、その恩恵にただただ感謝するばかりです。
私はよく、自分は種を播いて除草しているだけで大した仕事もしていないのに、こんなにも恵みを頂いてもいいのかと思い、ふつふつと感謝が込み上げてくることがあります。
“田”は、人間が神様の存在を思い出す場所、人間と神様がひとつになる場所だと私は思っています。「水田」は水の田んぼ。「畑」は火の田んぼと書きます。「果樹」の果は木の上に田が乗っています。いずれにしても、“田”は人間が神様からダイレクトに恩恵を受け取る場所で、神聖な特別な場所です。そして、“土”は神様からの人間への最大のギフトです。そのギフトを受け入れて、土と共に生きようとする人は豊かで永い人生を楽しめます。そこには、神様が我々人間に用意した無上の喜びがあるのではないでしょうか。
橋本 進
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