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執筆者の写真hfarm1108

全体に奉仕する生き方

 自然農法の目的は、人間の糧である正しい食糧を生産する事は勿論ですが、その背後には、作物の栽培を通して得られる、もっと大きなメッセージが潜んでいます。それは、「“自分は全体の一部”である事を受け入れ、“全体の為に奉仕する生き方”を選びなさい」、というメッセージです。それこそが本来の農の目的ではないでしょうか。農の目的が本当はそちらにあるんだったら、農作業を通じてそこへ向かっていける農業が本物の農業だと言えます。

 自然農法の根本理念は、『自然順応、自然尊重』です。害虫の発生は、人間が肥料で汚した土の肥毒の浄化作用としての表れであれば、全体のバランスを保つ為に必要不可欠なもので、私達が害虫と呼んでいるものは、実は全体の為に奉仕している存在だと言えます(本当は益虫?実際に肥毒が無くなれば、害虫は発生しなくなります)。ただひたすらに自分に与えられた役割に徹して、しかも喜んで葉っぱをかじっています。

 私の大好きな生物学者、福岡伸一さんは、著書の中で次の様な事を言っています。

「アゲハ蝶類の幼虫は、食欲旺盛だが食べ物に関して驚くほど禁欲的である。自分が食べる植物を極端なまでに限定している。アゲハ蝶であればミカン類かサンショウの葉しか食べない。キアゲハはパセリか人参の葉しか食べない。ジャコウアゲハはウマノスズクサという奇妙な葉っぱしか食べない。どんなにお腹が空いていても、自分の食性以外の葉には見向きもしない。違う葉っぱをそばにおいても餓死してしまう。かたくななまでに自らの食べるべきものを限定しているのである。それは、限りある資源をめぐって異なる種同志が無益な争いを避けるために、生態系が長い時間をかけて作りだしたバランスである。彼らは確実にバトンを受け、確実にバトンを手渡す。黙々とそれを繰り返し、ただそれに従う。食べ物だけではない。棲む場所も、活動する時間も、交信する周波数も。彼らは自分たちが排泄したものの行方を知っている。彼らは自らの死に場所と死に方も知っている。誰にどのように食われるかということさえも―。」

 この事を生物学の用語で「ニッチ」と呼び、それは全ての生物が守っている生態学的地位の事だそうです。そして、福岡伸一さんは「ニッチ」について次の様に述べています。

 「ニッチは“分際”と訳すことができる。すべての生物は自らの分際を守っている。ただヒトだけが、自然を分断し、あるいは見下ろすことによって分際を忘れ、分際を逸脱している。ヒトだけが他の生物のニッチに土足で上がりこみ、連鎖と平衡を攪乱している。私たちだけが共生することができず占有を求めてしまう。ヒトはもうすでに何が自分自身のニッチであるかを知らない。」

 全ての生き物が、全体のバランスの為に奉仕しているとしたら、人間もそう生きるべきではないでしょうか?

 『土にも植物にも意思、感情がある』それは本当のことです。

自然界の土や動植物や虫達は、私達人類の生き方をどんな気持ちで見ているのでしょうか?彼らは、人間を地球の害虫とさえ思っているのかもしれませんね。   

                                     橋本 進


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