「自然農法は素晴らしいよ。やってみない?」と勧めたら、「僕は農業には向いていません。」と返ってくる事があります。確かに、経営としての農業には向いていない人は沢山いるでしょう。でも、私はいつも言います。「農業に向いていない人なんて一人もいない」と。
本当の“農”は作物を育てて売る事ではなく、人間として生きていく為の生産活動です。つまり“生活”そのものです。だから向いていない人なんかいないのです。もっと言えば、“農”はただ作物を育てる行為ではなく、人を育てる行為であるとも言えます。
私は長い間、自分が作物を育てていると思っていました。でも本当は、自分が作物に育てられていた事に気が付きました。なんて傲慢な考えだったんだろうと、自分が情けなくなったものです。
我々人類が農を通して思い出さなければならない事は、私達は大自然の循環の一部であり、全ては繋がっていて、その循環の中で生かされているという事です。それを理解する事こそが、農の役目ではないでしょうか。
今、私の手のひらにはカブの種があります。今、私がこの種を持っているという事は、必ず誰かの手によって採種され続けて来たという事になります。そうでなければ、この種はすでに無くなっているはずです。仮にこの種の寿命を10年とすると、今私の手によって播かれるまでに、この種が2000年の時間を生きて来たのであれば、少なくとも200回は誰かに育てられた事になります。そして、一人の人が20年持ち続け次の人にこの種を託したと仮定すれば、少なくとも100人の人に脈々と受け継がれ、今、私の手の中にあるのです。そして、私もいつかはこの種を誰かに託すでしょう。人間の肉体は無くなっても、種はまた誰かの手によって生き続けるのです。そして、もし私が再び生まれ変わってきたとすれば、またその種によって私は生かされるかもしれません。
私達人間は大自然の循環のほんの一部を担当しているに過ぎません。でも、その一部を果たせなければ、大自然の循環、命のリレーは滞ってしまいます。一人の人の生き方が全体の為になり、全体は一人の人間を健全に生かしていきます。つまり、全ては繋がっています。
“Oneness!” 今、私達が自然順応、自然尊重の生き方に変われば、全体が変わります。人間は生まれた瞬間から、誰にも“太陽の光”と“雨の恵み”と“土”を与えられます。私はいつも言います。「土と共に生きようとする人は、豊かで永い人生を味わう事が出来る」と。でも、一方では土と共に生きる事は、大変面倒くさい事でもあります。種も作物も料理もお金で買った方が手っ取り早いからです。
あなたは、どちらの生き方が美しいと思いますか?
橋本 進

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